今を重ねる

14歳年上の夫と8歳・6歳の子供たちとの今を楽しむ暮らし

自分を大切にすると・・・

何よりも誰よりも、自分に誠実に接することから得られるものが半端ないって話をこれからします。


この前の連休最近忍者が好きになった子どものために京都の忍者村に行きました
すごい人でアトラクションもレストランも1~2時間待ちもありました。
並ぶのは私だけ
その間は旦那と子どもは自由にお土産屋さんみたり、
アイスを食べたり、広場で刀で遊んだりと楽しんでいました。
さらに、並ぶ私の携帯電話は電池が少なくなっていたので
暇つぶしもできません。
私は本来結構わがままで自分本位。
一見、私だけがハズレくじを引いたようにも思えますが、
これがその日の間ずっと全然平気だったのです。

なぜかというと、ここに来る前に
『子供たちが忍者が好きな気持ちで遊べるのは今の時期しかない。楽しもう』
自分で心底思ったからです。
それでも、今までは、そう思っていてもできないことが多かった。
自分の疲れに飲み込まれて、感情に振り回されて
旦那に文句言ったり子供に『あなたたちのためにお母さんだけが犠牲になった』とか言っていたと思います。

しかしなぜこれができたかというと、
何よりも誰よりも自分との約束を誠実に守ろうという気持ちでした。
人は、他人との約束は誠実に守ろうとするけれど、どうも自分にはすぐに約束を破ります。
まあ、自分との約束を守り続けて逆に苦しくなるのは本末転倒ですが、
もう少し自分を大切にしてみようと思ったのですね。

その結果何を得ることができたかというと、
とてつもない充実感と満足感と感情に振り回されないことによる心の平穏。
そしてさらにはすごく楽しかったのです。
いや、形だけで見ると私何もしてないんです。
アトラクションもほとんど乗らずに並んでいましたし、
アイスも時間的に食べ損ねたし、
待つのも人混みも苦手なのに何時間も立ち続けたし。
なのに、すごく充実してたのが不思議で仕方ありません。
今までの自分のパターンはわかっているので、
次の日にぶり返し来るかもしれないと思っていたのですが、
いたって平穏。
翌日も活力とやる気と心のバランスのとり方が我ながらうまくできたと思います。


子どもたちが喜んで感謝されたのももちろんうれしいのですが、
子どものためにという犠牲の気持ちなんて全くないし、
何より自分の自分への誠実さの気持ちよさと心が平穏に保たれていることが
一番うれしかったです。

また、別の要因があるとすれば、私は平日一人の時間をとても大切にしていて、
お気に入りのカフェにかなりの頻度で癒されに行きます。
学校や会社に行っている時間帯にのんびりコーヒー飲んでます。
なんなら甘いものも頼んでます(笑)
バイトも辞めちゃったし、今の私のかろうじての収入源はメルカリとココナラ。
つまりかなり時間のストレスがフリーです。
カフェ行きまくりで感じていた罪悪感は、今はもうありません。
だって、私のその癒しが、きちんと家族に還元されていると確信をしているから。
私が自分の自由を、きちんと家族の自由へと還元されていると分かったから。
家族の思いもかけない提案や、わがままを『いいよ~』と受け入れられる力になるから。


結局人は利己的に生きるしかない。
でも、利己的に生きることが結果的に利他に結び付く。
それがきっと真理だと思います。
だったら、わがままに利己的に生きていくことにそれぞれみんなが『いいね』を押していけばいいだけ。
なんて素敵な世界なんでしょう!!

とにかく一番最初に大切にするべきものは、自分。
さあ、カフェに行ってこよ~♪



最後まで読んでいただきありがとうございます☆☆☆
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

みんなちがってみんないい

なんだか色々あって、息子は10月からの半農半Xならぬ
半学校半家庭で過ごす計画を立てております!!
友達に会いたいけれど先生は本当に嫌だからっていう気持ちが
彼なりのこの決断になったのでした

これまでに至るには色々な感情を味わいましたが
『なんで学校は・・・』『どうして先生は・・・』という愚痴レベルを超えて、
自分が主導権を握って、自分でカスタマイズして生きている感じがしてワクワクします。
もちろん、すごく勇気がいるし、常識からは外れたことをしようとしています
でも、学校行っても行かなくてもいい
行きたい日は行けばいいし、行きたくなければ家で過ごせばいい
一長一短でどちらがいいとかはない
そんな気持ちがここ1カ月で腑に落ちるようになりました。

ちなみに娘は、そんな息子と私を見て出した結論は
『私は学校がいい~』でした
二人とも不登校も可能性としてあると心構えはしていたので、
ちょっとホッとしたし、(だって家庭学習2人は大変だよ~)
改めて同じ姉弟でも感じ方が違うのでした

同じように、先生も先生なりの経験や考えや守りたいものがあって
感じ方は違います
でも、きっと、みんな、その言動に至るまでには何かの理由が必ずある
ほんとうに、『みんなちがってみんないい』ということを受け入れる
いい体験です


さいごまで読んでいただきありがとうございます☆☆☆
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

人間が手放したほうがいい感情は罪悪感と○○だってさ

さてさてみなさま今年の夏休みはどうお過ごしでしたか?
我が家は今回は帰省をせずに旦那の夏休み10日間をゆっくりのんびり
過ごすことができました。
私は長期休みは何かしなきゃもったいないと思う人でしたが
何もしないことの良さもやっと分かってきたので
本当に予定もなく、のんびり過ごしました。

代わりに家にいるときに取り組んだことは
・義母に数年前にほぼ無理やり渡された日本人形をお寺に持って行って供養してもらったこと
・高額だったからもったいないと思って手放せなかった品々をメルカリ出店
という結構めんどくさい度が高い断捨離を行いました。
そしてメルカリ出店して早速売れたものの売り上げで
子どもたちにレゴを買ってあげて子供たちの楽しさと大人の自由時間を得たり。
『ああ、お金ってきちんと回っているなあ~』と経済をしみじみ感じることができました。
あとは結構ユーチューブ各々で見てましたね~
だらだらですよ、だらだら。


そうそう、テレビよりユーチューブ派の我が家ですが、
その中でも好きなテレビ番組があって、
それは『激レアさんを連れてきた』なんですけれど
土曜日夜10時過ぎからだけど子どもと観てます

この番組ね~、素晴らしいんですよ。
普通の人生歩んでいない
なかなか自分の日常では出会えないような劇レアな一般人の生き方を
面白おかしく紹介していくバラエティーなんですけど、
ただのバラエティー番組じゃないです、あれは次世代教育番組だと私は思っています(笑)
何よりも激レアさんは常識破りの人ばっかりが出てくるのですね、
みんな普通じゃないんです。
だからめちゃくちゃ面白いのでそれだけでも十分なのですが
観終わった後いつも感動します、私。
なぜかというと、出てくるゲストの皆さんが自分軸で人生を歩んでいるのに感動しちゃうんですよね~
みんな本当に枠超えちゃってて、周りの目を気にする無駄な羞恥心がなくて
本当にみんなかっこいいんですよ

前回は自分の携帯番号をユーチューブに載せちゃって携帯回線がパンクしちゃったラッパーさんだったのですが
一見びっくりするほどのおバカっぷりに笑えるのですが、
心がキレイで自分の哲学持っててかっこよかったです。
番組を観た翌日にこどもと一緒に彼の色んな曲をユーチューブで聞いて、
さらに感動しました!!
正直一昔前の常識がんじがらめの私だったら
引いてたと思いますが(笑)



私が最近読んだ本の中で引用されていた文章があります。
その引用されていた本はベストセラーになった『神との対話』という本で
その引用されていた文章は
『最後に人間が手放したほうがいい感情がふたつある、それは罪悪感と羞恥心だ』です
私は『神との対話』は難しそうでまだ読んでいないので
詳しく語れないのが残念なのですが、
罪悪感は手放した方がいいというのはだれでも納得すると思います。
でも、羞恥心?!それがトップで手放した方がいい感情なの!?と思ってしまうところがありました。
でも激レアさんの番組を見ると、
本当に輝くためには人の目を気にするという羞恥心は要らないなと本当に感じさせられます。
それは自分らしく生きるために必要な手放しの感情だということです。


その瞬間は羞恥心を手放せても、後で振り返って自分を責めてしまったりすることもあるけど
いまここを大切にして羞恥心と罪悪感を手放せたら
本当に自分らしい人生を歩めるのでしょうね~
さあ、私は知識としてきちんとインプットしていました
あとはアウトプットして自分のものとして馴染ませるだけです
本当、言葉にするのは簡単ですが、
実践ほど難しいものはありません
でも、この言葉と激レアさんのゲストの方々が味方と思ったら
少しぐらい頑張れる自分がいます!!!
結局ただの番組ファンなだけですけどね(笑)



最後まで見ていただきありがとうございます
素敵な今をおすごしください☆☆☆

いまをかさねる

最近驚くような、びっくりなことが多いです。

 

 

今日同じマンションの、

子どもも仲良くしてもらってる長年の付き合いがあるママさんが

お昼時に子どもと一緒にピンポンしてきました

『ちょっと話があるからいいかな?』

と言われて外に出ると、

少し子どもから離れた場所で

『実は夫からDV受けてて、別居することになって、今から実家に帰るの。弁護士さんに口止めされてたから今日まで言えなくてごめんね。最後にnaoちゃんにはさよなら言おうと思って。今まで仲良くしてくれてありがとう。』と言われました。

 

私は何も言えなくて、

ただ抱きしめて涙流しながら、

でも笑顔で『ありがとう!元気でね!』しか

言えなかったです。

でも、彼女と子どもは泣いてなかったし

悲壮感もなくて。

むしろ、凛としていました

 

離婚とかDVとか、言葉だけみたら

同情や哀れみを感じることもあるけれど、

そんな言葉なんて似合わない!

だって、清々しく前を向いてるから。

むしろ、『門出』だな~と思って見送りました。

 

 

今回思ったことは、本当に、

当事者にしかわからないことがあること。

そして、

突然の別れがあるのだから、

本当に今の瞬間一瞬一瞬を大切にすること

 

突然告げられてすぐに旅立って

心の整理もつかなくて、

思い出だけが残ってて、

もっともっと、話したかったな、とか

こんな突然お別れが来るなら

彼女との瞬間をもっと噛みしめて過ごしたかったな、とか。

いまをかさねるというこのブログのタイトルは

あるのは『今』だけ、イマココで生きる

その積み重ねで人生を造り上げるという

意味を込めています。

当たり前に日々過ごしているけれど

次の日にも必ず同じことがあるなんて思ってしまうけれど

こうやって一瞬で私の前から消えた天使のように優しかった親子は

『いまをいきる』ことの大切さと、

一番手に入れたい幸せのために

それ以外の積み重ねていたもの全てを手放す勇気を

私に教えてくれました

 

彼女たちを応援する明るい気持ちの下に隠していた

突然友達が消えちゃったという悲しみと寂しさと思い出に浸るために

今日1日だけは私が私に付き合いたいと思って

夕飯も子どものこともかなり手抜きです。

そして1ヶ月近く断っていたお酒も飲んじゃったよ(笑)

こんな1日があっても、いいんだな~~

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

ステキないまをお過ごしください☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもへの性教育

今日はぶっちゃけた話をします。
もし、このブログをご覧になっている方が
小さなお子様をお持ちでしたら
参考になるかもしれないと思い、
今日のことをお伝えします。


今日、娘が報告してくれたある出来事をきっかけに、
どうしても子供に全部話した方がいい、濁してはだめだと思ったので
勇気と誠実さを持って、性についてこども二人に伝えました。

小学校4年生の娘と2年生の息子。
二人は生理のしくみについては知っていたくらいの知識です。
私が生理になったとき、とても怖くてトイレで泣いてしまった経験があるので
女の子ができたら生理は自然の流れで教えていきたいと思っていたし、
息子も自然の流れで知れたら素敵だなと思っていたのです。


でも、今回は、
実は男の子にも生理のようなものがあること、
(女の子は赤だけど男の子は白でそれは紅白だからめでたい感じするし、びっくりする必要ないんだよ~ということ)

人間も交尾があること、それを性行為やセックスということ

セミや虫が交尾を最終目的としているほど命を次に繋げることは大切な行為だから
命の元になる精子を出すのが喜びに感じるように、
男の子には特に気持ちよさを感じることができるらしいこと


でも、残念ながら気持ちよさのためだけに
女の人をおもちゃのように扱ってしまう悲しい考え方の男の人が世の中には存在すること
(これには二人にとって衝撃だったらしく、それ、奴隷と一緒じゃん!!と息子が叫んでました~)
だから自分を大切にするために、自分の身を守ることも大切なこと

などなど、ほかにもいろいろ質問と回答の繰り返しをしなが30分近く伝えました。

その話の中で、痴漢ってそういうことか!!とか
だからお母さんは私にパンツの上に黒スパッツ履きなさいっていうのか!!とか
自分の体を守らなきゃいけないんだ!!とか
自分の体はこれから10年くらいかけてどんどん変化していくんだ!!とか
子ども二人も色々な気づきや
聞いたことのある言葉や知識の点と点が繋がって納得した様子でした。


ここまで清々しく性教育の話をできたのは
ちょっと前に購入した
『おうち性教育はじめます』という本のおかげです。
私もこの本を読んで偏見が解けたし、
きちんと教えてることは
自分や他人を大切にすることに
繋がるんだなーと思いました。


運が良ければ学校のプロジェクトなどで
助産師さんが正しく教えてくれる機会もあるけど、
性の最初の情報はいつ出会うか
親でも把握できないし、
その情報が子どもにショックを与えるものかもしれません
夫は、男兄弟に育ったこともあるし親に教えてもらわなかったからわざわざ伝える必要ない派ですが

私の考えは女の子は特に身を守る為にも性教育は大切だと思っていました

私は小学生のころ、
コンドームやセックスをテレビで言っていて
親に質問したらスルーされた経験があります(笑)
そのとき、なんかわかんないけど
気まずいフレーズなんだなと悟ったのですが
大人になった私は、
自分の親に対して『そうするしかないよね~だよね~』の共感の気持ち半分と
『逃げたな(笑)?!?!』という気持ちがありまして。

だから、自分はきちんとこどもと向き合いたいな
というか、あの時お母さんが向き合ってくれたら嬉しかったな
という気持ちでいました。

で、その本によると、
高学年は同性の親が教えるべきだけど
幼い異性のきょうだいの場合、
本人たちが嫌がらなければ、母親が同時に伝えたり答えたりしていいと書いてあったので
思い切って伝えました。

さて、すべてを伝えきれた私はというと
伝えた後、とてもすっきりしたし、
ちょっとオーバーかもしれないけど
いのちってすばらしいなと思って、
子どもたちを抱きしめちゃいました
いままではぐらかしていた
『なんでお父さんに○○(息子)は顔が似ているんだろうね~』の答えも
お父さんとお母さんの血が半分入っているからなんだよ、だからふたりは宝物なんだよと言える。


清らかな心でいられる気持ちよさと
誠心誠意大切なことをこどもに伝えられた安心感で
ちょっと震えながら泣いてしまいました。
今日は私の人生の中でトップ5?くらいに入る日になると思います


最後までよんでいただいてありがとうございます
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

コンプレックスを解放する

最近自分のコンプレックスだった、人には話せないことを
話せるようになったのはすごく喜ばしいことだと思っているので
(つまり、コンプレックスとして隠したいという気持ちが無くなった・事実で~すとしか思わなくなったということです)
そのことについて今日は綴りたいと思っています。


さて、
自分の過去を話せるようになったのはつい最近です。
私は少なくとも独身時代は実家、自分が生まれた環境に対してめちゃめちゃコンプレックスでした。

①農家で貧乏であった(祖父のやんちゃ行動連発で借金もあった)
②祖父が数十年浮気しまくっていてたまにしか家に帰らない
③両親が新興宗教に入っていて、20歳くらいまでそのしがらみが取れなかった
2歳上の私と気が合わなかった姉が高校生の時妊娠・出産→5年ほど父から勘当されてた


すぐ今思い当たるのはこの四点ですが、
これを他人へ悩みや相談みたいな重苦しい空気ではなく、
笑いながら話の流れで軽く話せるようになったのは本当につい最近です


詳しく話すと全部すごーく長くなるので端折りますが、
結局今、このことを話せるのって
物理的な距離と時間薬だなと思います。

そのおかげで、受け入れ赦すということができたと思います。
家族を特別な近い存在として考えずに、
一人の人間として尊重するというスタンスに思ってから、
すべて色が変わったように受け入れられるようになりました。
ただ一緒に住んでいるだけで、血が繋がっているというだけで、
私の価値観と一緒のはずはないのです。




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私は価値観の合わないもの・受け入れられない事を排除しようとするところがあって、
ひどいときは私は姉の存在を消して4人兄弟じゃなくて3人兄弟として友達に言っていたし、
農家だというのを恥じていてなるべく隠すようにしていたし、
宗教という響きを聞いただけで冷や汗が出たし、
貧乏だと認められなかったし、
『こんな田舎出ていきたい、帰りたくない』と思っていたし、
『我が家は普通』というのを友達の前で保つことに必死だったし、
祖父の悪口を言って祖父以外の家族との調和を維持する時期もありました。


でも、一見修羅場満載の実家物語を経験したからこそ、
経験値はもちろんアップしたし、
人の心情や背後にあるものに思いを馳せられる多角度的視野も備わったはずです!!
特に宗教自体めちゃめちゃ考えて一人悶々と向き合った経験があるのはすごくよくて、
あまり偏見を持たずに客観的に人の心理と宗教観とか捉えられるのはすごく身軽です。
今となっては
あんまり重苦しくも捉えていなくて、
すべてフラットに耕されました。
つまり、人の価値観はそれぞれってことです(笑)
みんなちがってみんないいのです、家族だってちがうのです。
多様性です、好きなこと違うんです。はい。
やりたいようにやっちゃう家族なのです、うちの実家は。

naonanone.hatenablog.com


それでも結局はずっと修羅場は続かないもので、
姉と私の関係は、正直価値観は違いますが彼女の考え方や生き方を尊重しているせいか、
大人になったほうがよく話をするようになったし、
両親は趣味の宗教二人で楽しんでいますし、
借金も祖父の年金とかでやっと返済できたようですし、
祖父も足を悪くしてから女遊びは控えたようで、それからいまは基本寝たきりになってボケちゃったおじいちゃんになっちゃったのです
そんな祖父を受け入れ面倒見ている両親は普通に尊敬します。


人には私の経験以上の色々な悲しみや辛さを経験している方ももちろんいるので
それを全部軽く考えているというわけではないです。
そしてこれからもっと受け入れがたいことを経験する可能性ももちろんあります。
でも、変に自分の強いこだわり(見栄や人からどう思われるかなど)を持って作り上げるコンプレックスとは
私はさよならしていきたいなと思っています。


最後まで読んでいただいてありがとうございます。
すてきないまをお過ごしください☆☆☆

理想と現実のコントラストで自分を知る

その後、息子は学校に行くようになりました。

※学校になぜ通いたくないのかという理由はこちらをご覧ください↓
naonanone.hatenablog.com

なぜ学校に通うようになったかというと、
学校を休んでいるある日、私と息子は以前幼児教室でお世話になった先生に会いに行ってきたのです。
この先生とはたまに顔を見せにいくので、卒業してからも何度も会っている先生なのですが、
この先生と話をした時間が、息子にとってよかったみたいです。


その幼児教室はモンテッソーリでした。
モンテッソーリ教育は、将棋の藤井聡太さんがモンテッソーリの幼稚園だったことで注目されました。


モンテッソーリの教育方針は私はもう忘れてしまったけれど、
私がここに入らせたいと思ったのは、
集団で何かをするのではなくて、自分で今日やりたいこと(お仕事と呼びます)を
決めて満足するまでやるというところでした。

集団行動は嫌でも数年後にたくさん経験するから、
今だけでも自分の興味があることを十分に堪能してほしいと思ったからです。

そして、入ってから知ったのですが、
そのお仕事は完成するか否かの結果ではなく
五感を十分に感じることのできる教材を使ってお仕事をしているその過程(集中、満足感、幸福感等)が何より大切で、
『今に生きる』『みんな違ってみんないい』『自分だけの感性』
というこれからの時代にとても必要な要素が詰まっていたなと感じます。


その時にお世話になった先生に会いに行って、
息子の話を聞いてもらう時間を作ってもらいました。
先生は、『○○くんはすばらしい。先生もよく、社会や世間での無駄なことや理不尽なことにいら立ちを感じることがある。
それを7歳で感じることができるのは特別な子です。
神様は、そんな特別な子にもっと成長するために、一見無駄だと思えるような出来事や人を配置してくれます。
無駄なことを将来どう生かせるのか考えながら学校に行くのもいいと思う。でも、気持ちが赤信号の時は学校に行く必要はないですよ』
と言ってくれました。

息子は『特別な子』というフレーズに自尊心をくすぐられ
気持ちを共感してもらえたことにすっきりして、
『学校に行こうと思う』と言って、今日も学校に行ってくれています。
家族以外に自分を全肯定してくれる存在がいるのはとても大切だなと思いましたし、
息子は神様の話が大好きなので、『神様』フレーズがあったのもよかったと思います。
幼児教室の先生には大感謝です。



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さて、学校に行き始めましたが、
息子が感じる学校の今の担任の先生の言動に『???』と思う部分は変わりません。
さらに最近その先生は、生徒の名前を呼びすてにし始めたそうで、
人によってはなんてことないことなのですが、
息子にとったらすごく『信じられない』行為です(笑)
というのも、息子は以前からどんなに仲が良い友達も
絶対に『○○さん』か『○○くん』などをつけたいと言っていました。
それは、呼び捨てにすると、その人を大切に思っていないように自分が感じるからだそう。
乱暴な表現は避けたいから、自分のことは僕って呼びたい
(俺という響きは彼の中で乱暴に感じるそうです)とも言っていました。


でも、息子のそういった価値観は、
今のこの担任の先生になったからこそ浮き彫りにすることができました。
本当に理想の先生だったら満たされていて気づかなかったけど、
自分の理想と現実の差のコントラストがあればあるほど
自分の本当に大切な価値観を知ることができるのですね。



だとすると、息子のこの先生との出会いは
実は息子が『自分を知る』ためにとても必要な出会いだったと思います。
『人の名前は呼び捨てにしたくない。なぜなら僕は人を大切に扱いたいという気持ちがあるから』
『人に分かりやすく説明することって大切だ』
『なるべく時間を大切に有効に使いたい』

という自分の価値観がはっきりと見えてきました。


このことを十分に息子が感じることができたら、
この先生やその後似たような人は、息子の人生では出会わなくていいパラレルワールドに行くと思いますし、
そのことを息子も理解しています。

だからと言って
毎日一生懸命ぶつかってストレス溜めるのは違うと思うので、
モンテッソーリの先生が言ってくれたように『赤信号の時は行かなくていい』のです。

息子は『学校に行くのも行かないのも選べるからいいね!』と
言っています。
そして一学期も7月でおしまい。
それまでに海の日スポーツの日?もあっての4連休も待っています!!


最後までよんでいただきありがとうございます。
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

この世のからくりは意識です

今日はがらっと変えまして、
意識が現実を変えるって話をしたいと思います。

一昔前、『引き寄せの法則』の本でブームになって以来、
引き寄せの法則という言葉は皆さん一度くらい聞いたことあると思います。
まあ、類は友を呼ぶも引き寄せってことですよね。
私も数年前に引き寄せだのスピリチュアルだのアセンションだの
量子力学だのひも理論だのを
聞くようになって、
やっと頭でしかわかっていなかったことが
自分の体感として、心で分かるようになってきました。
そうか、そうやって自分の世界が作り上げられているのか!


で、まあすんごく早く説明すると
引き寄せの法則って
意識(自分の内側)が潜在的に感じることが現実化するってことなんですけど、
意識が先で現実が後ってことが重要でして、
つまり、例えばハッピーなことがあるからハッピーになるって思うじゃないですか。
違うんですよね、逆なんです。
少し前の自分がハッピーでいたからハッピーなことが起こったのです。
そんなハッピーな波長(エネルギー)を過去に出していたから
その波長に合う現実が来ましたよってことです。
実は私、イマイチ理屈では理解できなかったのです。
『宇宙の法則』ではそうらしいのですが。
でも証拠がほしいじゃないですか。なんでそうなの?
っていうのがないと心の底からは納得できなかった。
で、
数年前ノーベル物理学賞をとった量子力学っていうのを簡単にですけど勉強しました。
図書館で本を借りたり、ユーチューブで勉強したりして。
そしたらとっても腑に落ちました。
いや、本当にかじりの部分だけしか理解できませんでしたが。

超簡単に説明すると、
物質はどんどん小さくしていくと最後には量子っていうものになります。
量子っていうのは波の性質と粒の性質っていう二つの側面があります。
二つの性質がありますが、エネルギーとしては同じです。
(このエネルギーは波長とか周波数とも言われたりします。)
性質が状況によって変わりますよってことです。
私たちが物質を認識しているときは粒の状態です。
そりゃそうですよね、見えますし聞こえますし手に取れます。
で、波の状態の時っていうのは非物質の状態で、漂っています。
私たちが認識していないときは波の性質なのですって。
まあ、言ってしまうと、今私の目の前にパソコンがありますが、
ふと振り返ると後ろには蚊が飛んでいました。
蚊は私が意識(認知)する前からいたのですが、認識前は波の性質だったってことです。
エネルギーは存在してあったが、私に意識された瞬間に粒の状態となって物質となったってことです。
ちょっと意味わからないですよね(笑)
量子の実験はあまりにミクロの世界なので
マクロの世界でしか意識できない私たちにとっては理解しがたいです、はい。

で、これは引き寄せの法則に当てはめますよ。
この現実というのは、私たちが意識しているから現実として反映されているということです
つまり、私たちが見ている景色、現象、世界観は私たちの意識の具現化なのです。
私こんなの願ってない!っていうと思うのですが、
潜在意識が90%以上を占めていると言われている脳ですし、
たくさん関わっている人々、集合意識、その他もろもろ色々複雑に絡み合っています。
顕在的に願っていても潜在的にインプットされていることが反映されやすいです。
だから、付け焼き刃的に引き寄せたくてもうまくいかない場合は
潜在意識が多いにかかわっています。
(あと、願う時は否定形は肯定として捉えられるとか色々注意事項もあるのですが。)
潜在意識は無意識ってことなんですが、
本人が気づいてないところの考え方です。
潜在意識(無意識)は、日常の中でパターンを繰り返すことでその人の意識に固定されてしまうのです。
それが現実に反映されてしまうのです。
例えば、毎回浮気される人とかも、一回浮気された経験で
『私は浮気されちゃうんだ』と意識に固定されることによって
次の相手にも浮気されたりとかですよね。



私にもいい例があることをふと思い出したので
言わせてください。
私は小さいころ
『お前は四人の兄弟の中でダントツに運がいい。最高の時期に生まれている。出世運がある』と
占い?を少しやっているおじいちゃんに言われたことがあるのですが、
だからか、私はどこかで『絶対に運がいい』って思っています。
世間でいう出世は私は当てはまりませんが、
正直、あんなど田舎で目の前の田んぼにウシガエルが鳴いているような場所で育ったのに、
短大卒なのになぜか受かった会社の寮が世田谷の芸能人とかも住んでる超高級住宅街にあって
そこに住まわせてもらったり、
旦那の会社の社宅が兵庫の高級住宅街のある場所にあり、
その後名古屋を経てこの土地が気に入って戻ってきて中古マンションを購入して住むことができています。
また、一年半だけ住んだ名古屋でも、
会社経由の不動産からおすすめされた物件が
名古屋ではザ・高級住宅街の場所だったのです。
つまり私は、東京でも、名古屋でも、兵庫でも、
高級住宅街といえばここと言われるような場所に
自分の顕在意識としての意思の範囲外で流されて住んでいるんです。

そう、顕在意識としては願ってないんです。勝手に周りが住みなさいって手配してくれるのです。
つまり、潜在意識が『運がいい・出世運』って思ってるので
引き寄せてるのかなと思ってます。
まあ、今住んでいるのは自分の意志ですけどね。
でも、このマンションに巡り合うのだって奇跡的な流れでした。
このめぐりあわせって、私は本当に
おじいちゃんに言ってもらった『お前は運がいい』の言葉のおかげだと思っています。
今その言葉を言ってもらっても、占いが本当に合っているか確かめようとしちゃう自分がいます。
ここまで素直に信じられなかったと思います。
でも小さいころの刷り込みで潜在的にそう思っちゃってるんだから、変えられないんです。
(もちろんネガティブな刷り込みも私の中でありますよ。あえてポジティブな面を伝えています。)

つまり、潜在意識パワーは現実を変えちゃうんですよ。
これが世の中のからくりなんだけど、
スピリチュアルとかいう言葉でカテゴリーされてしまうことが多かったのは事実だと思います。
だから、目に見えないものが物理学で証明されたというのは
私にとって本当にこれが真実なんだと思えることでした。
そして、意識で現実が作り出されているのだとしたら、
すべての責任は私以外何物でもないと思えてきます。
子どもの学校問題も、私の周りに起こる出来事は本当は誰のせいでも何のせいでもなく自分のことなのです。
その真実が分かっていながらもこれからも色々悩んでしまうんですけどね。




最後まで読んでいただきありがとうございます。
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

常識と価値観と勇気

最近子どもの学校・教育関係の話ばかりになってます・・・
ご興味のない方はどうぞスルーしてください

私今、本当に人生でこんなに教育や子どもや子育てを
考えたことないってくらい
ここ数週間、めちゃめちゃ考えてるんです。
客観的に見れずにどっぷりこの出来事にハマっているのです


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まず娘。
naonanone.hatenablog.com

その後先生に今までのこと全部ぶちまけてきました。

算数を避けるためには手段を選ばないというびっくりする歪みが彼女の中にある事実(笑)
学校では温和で空気を読んでいると思うが、
家では自由を奪われると発狂するという荒々しい部分がある(笑)
算数のせいで道徳観が崩壊することは母親として避けたい
だから算数宿題はできないで持っていく日あります!!

すると先生は
『そんな計算が苦痛だったんですね~いいですよ』
とのことでした。

で、先生がその後
『○○さんは、算数が全然できないわけじゃないんですよね。
だからゆっくりでももう少し計算練習を重ねれば大丈夫だと思っているんです』
とも言われました。
・・・はい、先生のおっしゃること良くわかります。
私もそう思って、今までそう思って娘をフォローしてきたんです。
でも、彼女は、『算数の計算をやりたくない』
ただそれだけなんです。
なんかよくわからないけど、
この気持ちがめちゃめちゃ彼女を支配してるんです(笑)
やればできるが通用しなくて
やりたくないものはやりたくないなんです
やることに価値を見出せないし、私には理解不能なんですけど、
どうしてもできないんですよ~~~
それを認めない限り何も進まないって思ったのです

ってことも先生に伝えておきました。

その後、娘はなんとか頑張って宿題してましたが
昨日苦手な面倒な計算が40問だったので
初めて21問の途中で辞めさせました。


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がんばりました!今回は不正をせずにがんばりました(笑)

で、次は息子の話で~す

最近息子学校休みます。
naonanone.hatenablog.com

で、色々話を聞いていくと、
担任の先生が去年の先生に比べて『分かりづらい』とか
授業が面白くないと感じているのが一番の原因でした。
前の先生だったら絶対学校行くらしい。
理由は『通っている学研で習っている単元でも、前の先生では新しい発見があったし違う考え方も教えてくれたし授業を聞いていても楽しかった。
だけど今の先生はそのままただ説明してるだけでつまらない』とのことでした。

息子は私が思ってるより真面目に授業に取り組んでいることが発覚。
真面目に授業を聞いていて、毎日本当に学校の授業では学ぶことがないと感じることが多いから
『学校は無駄が多い』という結論になったそうです。

で、昨日息子はまたまた気持ち悪いとのことで10時に早退しました。
早退した次の日は休まなきゃいけない学校のルールができたらしく
今日も学校休んでます。
勉強は幸い自分でやってます。
これはだいぶ私のストレスと不安を減らしてくれますが

で、私も色々模索中ですが、
学校行かなくたっていいじゃないって開き直る部分があったけど
それは強がりでもありました。

アウトローなんてちょっとかっこいいじゃないみたいな。
でも、昨日旦那の『ちょっと休みすぎじゃない?』って言葉に傷ついたし
むかついちゃったのです。
つまり、こんなに旦那の一言で心が揺さぶられるということは
自分が本当は一番そう思っているってこと。

私が本当に学校をこのまま不登校になることは
まだ自分が納得していないんです。
学校での友達と遊ぶことや図工をやる楽しさもあるし、
それを捨ててまで嫌なことなのかなとか。


無理して娘や息子の価値観を全部取り入れたいと思うけど
やっぱり私自身の不安も受け入れないと、
私もどこかでゆがみます、きっと(笑)


ちなみに矛盾してるけど
本当はもっと自由に、やりたいことをやって
自分の好きな勉強や遊びを追及するエネルギーを大切にしてほしい
とは思っています。
そしてもうあんまり忍耐とかは要らないと思ってます。
あと足並み揃えてとか集団行動の大切さとか。
(賛否両論あると思いますが私の本音はそうなんです)
あ、思いやりは大切だと思いますよ。


ああ、つまり私は常識に縛られて勇気がないだけなのか・・・
理想を思いつくのは簡単だけど実行する勇気ってすごい大変なんだね。

今日は私の散りまくっている思考をブログに載せることとなってしまいましたね
すみません。
でもね、きっとこの悩むことも心のどこかでは楽しんでいる気がします、私。
そう、成長中なんですよ、私。
新しいことを受け入れて馴染ませるための
モヤモヤ期間なんですよ。

いや~でも
改めて世の中不登校になった保護者様のことを
心より尊敬致します。
神です、はい。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

学校に行かなくなる可能性を受け入れる

学校自粛になる前から定期的に仮病を使って休んでいた息子。
そのたびに私は
『本当にお腹が痛いの?』と聞いてしまっていた。
息子は
『僕のことを信じてくれないんだね。それなら無理していくよ』と言うめんどくさいやり取りをしてというのが何度もあった。



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昨日も息子は学校を休んだ。
しかし昨日は違った。
『お母さん、今日ぼく学校どうしても行きたくない。勉強を家でするから!』とはっきり言われた。
私はその潔い言葉に『いいよ』とだけ言えた

なぜ学校に行きたくないのかを聞いてみると
すると、一番の理由は
『無駄な時間が多い』
先生がプリントを職員室に取りに行っている時間、
授業でみんなが問題を解き終わるまで待っている時間、
何度も同じことを繰り返している時間、

正直今回の先生は要領が去年の先生に比べて悪いところがあり、
それも理由としてあるみたい(笑)
でもその先生がいい悪いではなく、
それをきっかけにして
『あれ?これもそれも無駄じゃない?変じゃない?』と思うことがたくさん出てきた様子。

勉強に対しても
息子『それぞれ好きなレベルで勉強すればいいのに。やりたい子はどんどん新しい単元に行って、苦手な子は何度も同じことやればいいのに。』
・・・本当、本当にその通りなんですよ。
気づいちゃいましたね(笑)

そうは言っても学校に行ってもらった方が今の私は正直楽なので
学校での無駄な時間をどう過ごすかを考えてみた。
すると答えは娘の苦手な算数の授業態度にあった(笑)

それは、
『意識を飛ばす』こと。
嫌なものから意識を飛ばす、好きなことに意識を飛ばす
その場には存在するけれども楽しい想像の世界に脳を飛ばせるという作戦。
まさか娘の算数の授業の逃避行の技がここで生かされるなんて!!!
息子はゲームが好きなのでそれを考えるように提案。
無駄な待ち時間があったら『ラッキー』としようと説明する。
とりあえずこの作戦で少し乗り切って頂きたい。


息子の理想を聞くと
算数と国語は自分でできるから行かなくて
音楽と図工のある日、給食がおいしそうな日は行きたいらしい


なるほど、そうやって自分で好きなものをカスタマイズして学校に行くというのも面白いね。
そうなるかもしれない心構えしておかなきゃなと思った。


あとはおひるごはん問題。
学校休む日は納豆と卵と常備してる野菜のみで食べてもらう約束をした。
最近息子はお肉を食べたがらないしちょうどいいわ。
目玉焼きはひとりで作れるので自分でやってもらうことにする。
学校休む日はいつもこれ。
このメニュー。
わたくし、頑張りません。


学校教育に憂いてああしてほしいとかの問題を云々言うより、
我慢できなければ自分で抜け道を探しだせばいいのだ。
とはいっても親として、
それなりの常識を持って生きてきた私にとって
その勇気はまだまだ
とてつもなく小さいもので。
そして今朝学校に行ってくれてほっとしている自分がいるのは
紛れもない事実である。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
すてきな今をお過ごしください☆☆☆

感情をひも解く作業

今日息子が陸上教室でけがをしてしまいまして。
といっても全然実は大したケガじゃなくて。
ある男の子の足が息子の目に当たって、まぶたがちょっと切れただけ

まあ、息子は謝ってくれる親子に対して
『わざとじゃないから許してるし大丈夫だよ』と言っていて
その後ふたりになったときに『本当に本心?』って聞いたら
『本当だよ』と言っていたのでよかったとは思いました。

でもですね、よくよく聞いてみると、
息子は血が出た時に『失明する!』と恐怖だったらしいのです。
息子はけがに対してすごい妄想をして
異常に恐がるところがあり、
そういえば以前プール教室に通っていた時に、
急にゴーグルから水が入ってくるときにも動じないためにも
水中でゴーグル外して目をぱちぱちする練習があったのですが
その時塩素の刺激で『目から血が出る~』と言って一人パニックになっていたことを思い出しました(笑)
とにかく、こんな息子は自分の想像力で、
周りが思う以上に怖かったはずなんですよね。
で、私思ったのです。
その子を許しているからって、その出来事の恐怖までも帳消しにされるわけではない
その子を許すことと痛くて怖かった気持ちは全く別物なのだ

だから、そのことを息子に伝え、その時感じた恐怖を家族に話してたくさん聞いてもらおうって提案しました。
娘に話すのはもちろん、単身赴任の主人にも電話で聞いてもらいました。
すると、あの時感じた恐怖がなくなったと言って
最初震えて元気がなかった声に張りが戻ってきました!!


そして私も実はこのけがで心が色々揺さぶられたのでそれを整理をしてみました。
まず、息子のけがを見て必要以上に『大変なことだ』と思ってしまったのは
本能的に『子供を守る』という部分に触れたので
当たり前の感情だったと思います。
あと、目の周りで一番目立つ部分でインパクトが大きいっていうのもあります。
同じ傷でも目立たない場所ならきっとここまで
動揺しなかったはずです。

あともうひとつ。
正直先生の口から聞いたわけじゃなく、息子が帰り際に私の顔を見るなり泣き出して話を知り、
私がそのあと先生に尋ねて詳細が分かった経緯があるので
ちょっと不信感を抱いてモヤモヤして旦那に愚痴を言ってしまったのですが、
それは先生に対する理想対応を求めている自分がいるんだなと分かりました。
その感情は手放すか、先生に素直に『こうしてほしかったです』と伝えるかの二択です。
今となっては先生に何かを言うのはもうめんどくさいので
私の期待を手放すことで解決しました。
だって先生に色々お世話になっている部分は大きいです。
それでもまだモヤモヤ消えなかったら来週言おうと思います。
それが私の誠実のカタチだということです。


感情ってとても複雑に織りなっているんだなと思います。
そして簡単に絡まってしまうんだな、とも感じます。
それは自分自身も含め、気づかない形でトラウマとなったり
全部相手のせいにしたり、感情のクセとなったりしているのかな

絡まっている感情をひも解いていって
ひとつひとつ整理していくことは
結構めんどくさい作業だけれども
家のモノを整理整頓するのと同じように
感情もきちんと確認して把握して認知してあげることは
とても大切だと思いました。
ごちゃごちゃにして何が何だか分からなくなってしまう前に・・・




最後まで読んでいただいてありがとうございます。
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

私の誕生日の過ごし方

6月21日は私の誕生日である。
36歳になったという事実より、
朝から家族におめでとうと言われても
全く心が浮きも沈みもしない
いつもの日常だと感じてしまう自分の感情に
歳をとったなと実感する。
子ども二人は手作り工作と、
あとはプレゼントという名の
独りよがりの自分の遊びを披露。
レゴの作品も、ゲームのマイクラで作ったお城も、
『お母さんのために!!』と前置きすれば
なんでもプレゼントとなるわけだ。
正直言うと、
ふたりでせっせと数日前から
集中して『プレゼント』を作っている間に私に与えられた、
子供に邪魔されない
私だけの自由な時間が
何よりものプレゼン
トであることはさすがに子どもには言えない。



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娘はケーキもクッキーも絶対作ると張り切っていたが、
材料を買うところから始めないといけないから
時間が足りないということで
ケーキ担当はなぜか私となった
私が私のために特に嬉しくもない36歳誕生日にケーキをつくり、
私の時間と労力をかけて作ったケーキで誕生日の歌を歌われるという図である。






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ちなみに今日は結婚記念日でもある。
25歳の誕生日に入籍するという素敵なエピソードなようだが
とにかく面倒くさがりな旦那は
記念日覚えていられないだろう、
結婚何年目か計算するときに自分の歳から25を引けばいいから楽じゃないか
という素敵さのひとかけらもない合理的発想から来たものである



結婚12年目に突入した旦那は
私に毎年お花をプレゼントしてくれるのだが
当日行って花束作ってもらおうと思っていた花屋は
今日は日曜日でお休みだったと困惑していた
車を走らせて花束を買ってくると言った彼に
『気持ちだけで十分だよ、ありがとう!自分で好きなものを買ってくるね!』と言った私。
今日の夕飯は彼が作ってくれる。
夜ご飯を作ってそのあと名古屋に戻る彼のことを思って、
ゆっくりする時間を確保してあげたいと思った私の気づかいだったが、
やっぱり本音は人からプレゼントされる花束がほしかったな、なんて。
まだ私にも乙女心がきちんとあることに少しほっとした。
ちなみに彼が作ってくれる夜ご飯はホイコーローだって。
誕生日に中華なんだ・・・
ありがとう


そして、恥ずかしさを捨てて、
数年前から誕生日にやっていることは
母に『○○年前に産んでくれてありがとう』というメールを送ること。
気恥ずかしいのでちょっと絵文字でごまかしたりして。

すっかり母は誕生日は忘れていて
『父の日なのに私から贈り物来ないってお父さんが言ってたよ(笑)』
と言われた。
確かにごめん、
忘れてたよ、忘れてたけどさぁ・・・






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私の場合は誕生日って、
子どもが生まれてからは
祝う側のほうがワクワク楽しいものなのだと気づいた。
でもだからこそ、
大人の誕生日はしたほうがいいなと思う。
いくつになっても。
おばあちゃんになっても。
今更この年なのに嬉しくないよって言いながら、周りが盛り上げてくれて
遠慮しながらもその日
その時間だけでも自分が主役になることで
『大切な人なんだよ、生まれてきたことがおめでとうなんだよ』って思える機会になるんじゃないかな?


なるほど、と自分の考えに納得し、
わたし、お誕生日おめでとう!生まれてきてよかったね~と言ってみる
恥ずかしいから誰もいない部屋で小さな声で。


ちょっとだけ、気持ちが上がった。




最後まで見ていただきありがとうございます
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

家族内で発覚した不正事件

ここ最近の私の日記には
娘のことの素敵な光にスポットライトを当てていた内容が多かった。
実際私の目にそう映るものを書いていただけなのだから
ウソではないのだけれど。

でも、ここ半年間結構定期的に
娘のことでずしんと沈むことがあったことをここに記すとする。

それは、娘の算数の宿題連続不正事件である

娘は算数が苦手だ。
いや、どうやら苦手というか、
拒否反応がでるくらいやりたくないようだ。
頭を掻きむしったり、蕁麻疹みたいなのもこの前出た(笑)
どうやら習った単元のやり方は一応理解しているのだが
とにかく「計算がめんどくさい」らしい
なぜ何度もかけたり足したり引いたりしなくてはならないのか
何度も何度も・・・・

彼女の体はSOSを出しているが、宿題ですからせざるを得ない
私はどこかで『やればできる』という価値観を持っていたのだ。

でも、その私と彼女の価値観の不一致というか
私の彼女の性格の理解不足故、
とんでもない?事件が発覚したのは3か月前。
なんと三年生の3学期の計算ドリルほぼほぼテキトーに
数字を当てはめて計算せずに提出していたのだ!!!
少なくとも今年一月からの不正である
これは罪が重い。

先生は答え合わせは自分でとのことで、
答え合わせする時間に答えを渡す方式なので
いちいちチェックをしないということを利用して
この方法を編み出したとのこと。

確かに娘は宿題をするとき、
「集中してすぐ終わらせたいから」と言って部屋に籠っていたな。
私は、「成長したな~」と感心していたものだ
まんまと裏切られたわけである。


子供を信じることは間違いだったのか!?と自己嫌悪。
そして娘の人格を疑う。
平気で数か月ウソをついていたあなたに
心の痛みはなかったのかい?!?!?!

娘の光と影の部分を私なりに受け止め、
家族会議を開き、娘を諭してまずは落着したのだが。

先週も実は発覚してしまったのである。

怒るのではなく、娘の気持ちをさぐると、
「せっかくやりたくない算数をやるという方法(うその数字を書く)を自分の中で編み出したのにお母さんに見つかってムカつく」
これは衝撃だった。
なんと不正を悪びれていないのだ。
最初から先生に見つかればよかったのか。
蕁麻疹は出る、計算途中に暴れだす、嘘を悪びれない。
このままだったら娘はゆがむ。
算数はそこまであなたを追い詰めていたのか~~~

結果、私の出した結論は
「算数の宿題のみ、自分の限界を超える量の場合は宿題をしなくてもよしとする」
「娘の『算数の宿題全部を無理してしなくてもいいんだ』という安心感を与える」
「それを母の私が先生に伝えるから、わざわざ不正をしなくてもいい」
これの結論は
私の常識を破る勇気そのものだった。

すると娘は笑顔を取り戻し、
「算数の宿題以外はもちろん全部頑張るよ。ありがとう!!」とのこと。
そしてそれ以降の宿題は、問題が少なかったせいか
全部やり遂げていた。


人には個性、特性というものがある
「がんばればできる」「やればできる」に当てはまらない人がいる
それを私が認めたくなかったのだ。
頑張れば娘もできる。
ウソを覚え、身体にSOSが出ている状態でだったら可能だ。
いや、ただの娘のわがままなのかもしれない。
でも、やっぱり人の道徳観を崩壊してまで
算数の宿題をやらせたいとは私はどうしても思えなかった。

急遽個人懇談を先生に希望して、近々説明にいこうと思う。


最後まで読んでいただいてありがとうございます
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

自己犠牲という価値観~天気の子から学ぶ~

先週末、土日二日とも雨だったため、
アマゾンプライムで『天気の子』を家族で観た


小4の娘は泣いていた。
『すごく感動した。また観たい』と。
私も軽やかな涙を流した。
胸が熱くなった。
正しさやルールや社会上での立場を超えた
心の底から沸き上がる人の『想い』に
胸を打たれた。

あらすじとしては、
離島から東京へ家出してきた少年・帆高は、
念じるだけで晴れをもたらすことのできる不思議な能力を持つ少女・陽菜と出会う。
生活費の必要な二人は陽菜の能力をビジネスとして活用する方法を思いつく。
多くの人に喜ばれ、陽菜も自分の使命をやりがいとして見出していくのだけれど、
その不思議な能力を使い続けることで陽菜の運命は大きく変わってしまうことに・・・。


まだ観ていない人のために詳しく言えないのが残念なのだけど、
もし、読者の方の中に自己犠牲の価値観がある人は観てほしい。
キーワードは
誰かの犠牲の上に成り立つ幸福

自己犠牲というワードは我が家では割と良く出る。
というのも、息子は自己犠牲に美徳?を感じているよう。
まあ、『あなたがお先にどうぞ』の精神なのだが、
行き過ぎてバランスを崩すと
自分を苦しめるパターンに陥る。
やはりバランス。
自分が満たされていないと自分の心身を削ってしまうのだ。


誰かの犠牲のために成り立つ幸福があるとするならば
本当にそれは美しいと言ってもいいものなのか



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う~ン、最近はあえて難しく考えることは止めているので
悶々と考えるのはこれくらいにして。
とにかく、
こういう映画を家族みんなで観れて
家族の反応それぞれ見れて
改めて人の気持ちは十人十色だなと。
そう、みんなちがってみんないいのです。
昔は自分の価値観と同じ人と一緒にいたいと思っていたけれど、
自由な発想、自由な価値観っていいね~(軽ッ)
ちなみに旦那の感想は・・・
途中で寝てたので感想もなにもないとのこと(笑)
もちろん娘は『え~、寝てたの?!』と驚いていたけれど
いつもの父の姿を知っているのであまり落胆せず。
旦那、やっぱり自分軸ぶれてないですね~
家族みんなで観ようと懇願する娘の気持ちを踏みにじってまでも
自分の気持ちと睡魔を優先させるとは。
さすがあんただよ・・・



最後まで見てくださってありがとうございます
素敵な今をお過ごしください☆☆☆

目からウロコ!

最近Twitterで見つけて

衝撃を受けてしまったことがある

ナチュラル志向の方は必見❗

 

 

それは、

重曹シャンプーの凄まじき威力だ~✴️

いつも季節や天候にかなり左右されて

髪の毛にはいつも悩まされている私

アホ毛が酷くなったり

パサパサ乾燥がひどかったり

かと思ったらぺっとりベタベタになったり。

自然派シャンプー

高級シャンプー

高めのトリートメント

高めのオイル

いろんなのを組み合わせてるけど

なかなかベストにたどり着かない

十数年。

でも、でも、これすごい! 

重曹大さじ1に対して水1Lを混ぜて

ロングで約200~300ミリリットルが一回分。

泡はもちろん立たないし

水みたいだからさらさらなんだけど

頭皮の汚れしっかり落ちてる感覚あり!

で、リンスはクエン酸

この配合・使用比率は重曹と同じく。

この超低コスト超ナチュラルな

手作りシャンプーリンスの使用後の髪の質が

めちゃめちゃよかった~😲❗

 

やっぱり食べ物も

医療業界も美容業界も

ビジネスにするために

あれやこれやと必要成分無駄に

入れてることってあるんだろうね。

 

 

ナチュラル志向の方はもちろんだけど

普通に髪質に悩んでる人も

一度やってみる価値あると思います!

家に重曹クエン酸ある方は

ぜひ実験としてやってみてください!

久しぶりに衝撃が自分の中で走って

皆さんにお伝えしたくなりました❤️

 

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます

素敵な今をお過ごしください☆☆☆